パン、バター、ジャム

 どんなに眠気があっても、緩やかに意識が浮上していたなら隣の気配が動くのにも気がつくもので。静かに、起こさないように。そんな気遣いの垣間見える寝台からの脱走を、リンハルトは腕を伸ばして引き留めた。腰、細いなあ。そんな感想が寝惚けた頭の中を過ぎる。
「……起きてたのか、おはよう」
「起きて、ないです……」
 腰に突然伴侶の腕が伸ばされたベレトは動きを止め、首だけで振り返ってリンハルトへと朝の挨拶をする。ぐりぐりと背中に額を押し付けてリンハルトは首を横に振った。正確に言うならリンハルトの意識は微睡みから覚醒へと向かいつつあるが、起きようとは思っていない。
「もうちょっと」
「腹が減ったんだが」
 リンハルトはむぎゅ、と腰に回す腕の力を強くしてベレトからの訴えに抗議する。と、ぐきゅ、という潰れた蛙のような音がベレトの腹から鳴った。腹の音が鳴るのは確か、内臓が収縮しているから、だったか。空腹時にも満腹時にも鳴るのはそのせいだ。
 お互いに無言で自らの主張をしているのがなんだかおかしくなって、くふふ、と笑う。背骨を伝ってベレトにも伝染した二人の小さな笑い声が布団の中に満ちてゆく。もう少し寝ていたい、と思っていたのが段々とどうでもよくなってきた。目も頭も冴えてきてしまったし。
「ちなみに、朝食はなんですか」
 その問いかけにベレトは「そうだなあ」と思案を始める。おそらくベレトの意識は既に台所へ。今ある食料を思い浮かべて、なにを食べたいか、それから、なにを食べさせたいか。わざわざ声に出していなくとも、リンハルトにはわかってしまう。ベレトのことだから。
「牛酪を乗せてパンを焼こう。この間ご近所から頂いた上等なやつ。今ならモモスグリのジャムつき」
 しばらくして、ベレトから朝食の献立が立案された。頂き物の上等なパンは切り分けて少しずつ食べているが、確かにもうそろそろ食べ切ったほうがいい。牛酪を乗せて焼くと香ばしくてパリパリとしたいい音がするのをリンハルトも知っている。そこにベレト手製のジャムつき、というのはベレト自身が食べるためだけではない、リンハルトを誘惑するための提案である。彼の作る食事にすっかり舌と胃袋を掴まれているので。
 知らずのうちに緩まってしまった拘束を抜け出し、ベレトが寝台を脱出した。リンハルトも慌てて起き上がる。
「僕も起きます」
「寝ててもいいのに」
「嘘。知ってるんですよ、僕と一緒の食事ほうが嬉しいでしょう、貴方」
 立ち上がってもう一度ベレトを抱き締め、鼻先をうなじに埋めた。ふふ、くすぐったい。そう言って笑うベレトと離れ難くて、まとわりつくようにしながら二人で寝室をあとにする。