息を吸って、吐き出す。
それだけのことがどうしてこんなにも苦しいのかを、ずっと考えていた。
父親の厳格な性質?
己の置かれた境遇?
家柄が持つ世の中への権力?
そのどれもが理由として合っているようで、違っているようにも思えた。
だからと言って、そのしがらみから逃れたいという気持ちが強くあるわけでもなく。それは、逃れたとて行く先もないし、逆に面倒になるだけだというのを、聡いリンハルトは理解していたからだ。
理解していたつもり、だったからだ。
*
「……と、いうようなことを、昔は思っていたわけですが。逃げ場所、ありましたねえ」
緩やかな微睡に身を任せ、だらりと躯体を寝台の上に預ける。リンハルトが思う存分にこのようなことをしても、叱りつける相手はここにはいない。まあ、たまには小言を言われることもあるが、それはそれで少しばかり愉快な気分になるのだから不思議である。相手が彼だからだろうか。
リンハルトが目を細めて見つめた先には、微妙に怪訝な表情を浮かべたベレトがいた。生涯の伴侶、としてお互いを認めた相手。リンハルトの避難先であり、永住地。
「どうしてそんな顔するんです」
問う、と言うよりも、解明したい、を多く含んだ声音を投げかける。ベレトの表情の変化を読み解くことはできても、リンハルト自身が然程周囲の人間の心の機微を重要視せずに生きてきた。気づいても見ないふりをしたものもある、が。それはともかくとして、本人の持つ感情については本人に聞くのが一番早いのだ。わざわざ尋ねてでも知りたいのは相手がベレトだからである。
「逃げ場所、なあ」
「ええ。あ、とは言え追手もありませんし、逃げはしましたけど貴方には向き合っているので」
「それは知ってる。そうじゃなくて。逃げた、と思っているんだなと」
「それは……そうでしょう。僕はずっと逃げ続けていますよ、面倒ごとは苦手なものですから」
「俺は、お前のそれを逃げだとは思っていない」
「と、言いますと?」
「リンハルトは、リンハルトなりに向き合っていただろう。家や立場と。その結果、自分の道を選んだだけで、それは逃げたわけではないと思う」
なるほど。会話を重ね、ようやくしっかりとベレトの表情と言葉の意図を理解する。リンハルトの言う『逃げ』を、勝てる相手からの敵前逃亡ではないと言いたいらしい。
「そうですかねえ。でも、僕にとってはやっぱり、貴方の傍は『逃げ場所』がしっくりくるんですよ」
「どうして」
そんなのは決まっている。リンハルトにとってこれは戦略的撤退をした結果。幸運なことに見つけてしまったのだ。逃れられる場所を。
あの息苦しい、深い深い海に沈んでしまったような場所にずっといたとしたなら。リンハルトはきっと。
明確な答えを述べず、疑問を浮かべている唇にそっと口づけた。ベレトは驚きに目を見開いたのち、伴侶の不可解な行動に首を傾げる。それを見てリンハルトは笑う。
やっぱりね。
貴方の隣はこんなにも、呼吸がしやすい。